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知的反省

『思考の整理学』

https://www.amazon.co.jp/dp/4480020470/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_DmVdzb1QF7XAN 

上の名著を読んでみたところ、大いに示唆を受けるとともに、これまでの自分の知的態度に対する反省を促された。以下ではその詳細について述べたいと思う。
まず、この本の概要を説明したいと思う。最初に中心概念、受動的に知識を得てそのままアウトプットするだけの「グライダー能力」と、自ら新たに知識を発見する「飛行機能力」なるものが定義されている。そして前者の能力はコンピュータで代替されてしまうにも拘わらず、従来型の学校教育では前者しか身につかないことに警鐘を鳴らし、本の大半を割いて、後者をいかに身につければいいかについてヒントを提示している。

まず驚いたのが、この本は既に刊行から既に30年経っているが、時代遅れになるどころか、未だタイムリーな問題提起で在り続けていることだ。近年はAIの登場で、ますます創造性を育む教育の必要性が叫ばれているのは言うまでもない。

そして、自分自身にも、この「飛行機能力」が不足しているものと認識された。私はこのブログで20本ほど記事を書いては来たものの、いずれも振り返ってみれば既存の思想を部分的に借用するだけのもので、思考の独自性はなかったからである。恐らく私もグライダー型の人間で、学んだことの延長線上でしか考えることができないのだろう。確かに、この「グライダー能力」も、「飛行機能力」獲得のためにも必要であることは間違いないし、新たな創造も既存の発想のちょっとしたアレンジで生まれる。しかし既存のものに付け加えるほんの少しのオリジナリティーすら自分には欠けていたのではないかと反省する次第である。

では「飛行機能力」といっても具体的に何が欠けていたのだろうか。それはまさしく帰納思考に他ならないと考える。筆者は作中でこの帰納(もしくは演繹)に全く言及していない。しかし、形を変えつつも既存の知識をそのままアウトプットすることは演繹であり、新しい発見は帰納によってしかなされないといえるので、私は「グライダー能力」=演繹思考、「飛行機能力」=帰納思考のことを指していると考えている。
筆者は、生活や仕事の営みの中で直接経験される現実を「第一次現実」、第一次現実が概念化・抽象化された観念の世界を「第二次現実」と定義している。以降は私の解釈が混じるが、この第二次現実の世界は、書物や教科書の教える世界で、数少ない原則からの演繹で全てが定義される整然とした世界である。つまり、教えられたことを正しく身に着けていれば全てが解明される世界である。対する第一次現実は雑多な事物の世界である。そこには所与の原理原則などなく、不完全な一般法則を、帰納によって、際限なく自ら発見していかなければならない。
私はおそらく、学校教育の過程で第二次現実の世界、とくに数学の体系の世界に慣れ親しみ過ぎたのだと思う。つまり、この第二次世界を豊かにする勉強に好んで励んだ一方で、日常生活の場である第一次現実をなおざりにしてしまった。それゆえに思考が演繹に偏りすぎて、帰納思考がほとんどできなくなってしまったのではないかと考えている。

この偏りは、第一次現実、つまり生活や仕事の場面で私を無能にするばかりではなく、世界を体系的に説明する思想を形成するという私の目的にとっても、大きな障害になるだろうと思う。なぜなら、私が経験する世界は、数々の思想家たちが記述しようと試みた世界とは別個のものであり、彼らの思想や理論をいくら借用したところで説明がうまくいかないため、私自身が(本という書物の代わりに)世界という書物を直接、帰納により読み解いていく他はないからである。

よって、実践・思想の両側面において、帰納的・発見的な思考法を身に着けることが私の課題であることを改めて痛感した。そのために、この本を参考にするだけではなく、仕事の場を、帰納的に思考する訓練として活用しようと思う。