楽して豊かに生きる

我々の多くは、ある程度頑張らないと豊かになれないと教えられてきたし、そう信じている。 学生は勉強しないと豊かになれないといわれ、社会人はキャリアアップしないと豊かになれないといわれる。 最近流行りの副業も、インフルエンサーは皆も好きなことを…

我々は何をすべきか

世の中には二種類の人がいると思う。一方は、したいようにすべきだと考える人。他方は、すべきようにしたい人。前者はwantこそが、後者はshouldこそが根本的な行動原理だと考えている。 私は後者に属する人間である。ただしたいようにするだけならば、人間以…

幸福とはなにか

以下は、私が幸福の哲学入門についてツイキャスを配信した際の原稿である。 ツイキャスを見逃してしまった人、ペースが速すぎて理解が追い付かなかった人には、プレゼンテーション資料と一緒に見つつ、じっくり読んでほしい。 幸福の哲学に対して興味を持つ…

快楽主義のこころ

私が思うに、快楽主義のこころを一言で言えば、独我論である。独我論をとるならば、倫理観としては必然的に(広義の)快楽主義をとらざるを得ない。対して、快楽主義をとるからと言って独我論をとる必然性はないが、快楽主義を支持する直観はやはりどこか独…

快楽主義の擁護1(快楽の質の問題)

快楽主義とは、簡単に言うと次の立場である。 Ⅰ.快楽のみが、本人にとって良く、苦痛のみが、本人にとって悪い。 Ⅱ.快楽の良さは快楽の度合に比例し、苦痛の悪さは苦痛の度合に比例する。 快楽主義に対してよく向けられる批判の一つとして、快楽の質の違い…

エピクロスの倫理観について

エピクロスは、古代ギリシャ(ヘレニズム期)の思想家である。 彼は哲学の中でも倫理学、そして倫理の中でも幸福を最重要のものとして探究した。 彼によれば、幸福は主観的な快楽、とくに心の平穏による静的快楽(アタラクシア)であるという。これは、客観…

欲求充足説に対する反論

1.欲求充足説について 世の大半の人は、欲求に素直である。彼らは本当にしたいことが(自分にとって)良いことを疑わない。 確かに、大人は子供と違って、自分がしたいことが、本当にしたいことなのかを考える。誰しも、歯医者には行きたくないが、行かな…

動物にとって苦痛は害悪なのか

1.苦痛と害悪 我々の多くは、苦痛が悪いのは当たり前だと考える。確かに苦痛を好む人はいない。マゾヒストという例外もいるように思えるが、彼らは単に、通常の人が苦痛と感じるものを快楽として感じているだけである。 しかし、苦痛と害悪は概念としては…

快楽主義について(その2)

利己的快楽主義というと、どこか享楽的で、不道徳な響きがする。しかし、私が考える利己的快楽主義者のイメージは、非快楽主義者と見かけはほとんど変わらない。彼は、しっかりとしたライフプランも持ち、道徳を尊重し、人生の意味を追求するだろう。私は、…

意志について

1.無条件欲求 私は、死は私にとって悪くはない、もしくは不幸でないと主張した。しかし、それだけではない。私は、(死ぬまでの苦痛はともかく)死そのものにはほとんど無関心である。つまり、死で挫かれる欲求がほとんどない。 果たしてそんなことがあり…

幸福と道徳における人生観の違い

1.幸福と道徳の根本的な違い 幸福と道徳は、我々が追求する別のものである。確かに、これらはほとんどの場合は一致している。大抵は、打算であっても道徳的に行為することは、自分の幸福にとっても一番良い。それに、本心から道徳的に行為すると、道徳的な…

刹那主義について

1.二種類の私概念について 私という概念には二種類ある。 一つは、生まれてから死ぬまで同一の「私」である。普通我々は、例えば昨日晩御飯を食べたのも、明日仕事で働くのも、すべて同じ「私」だと考える。そして、昨日晩御飯を食べた楽しみや、明日の仕…

普遍性追求の重要性

我々は、しばしば「普遍」と「一般」を混同する。たしかに、どちらもすべてについて成り立つという意味では共通している。しかし、両者には大きな違いがある。日本では前者の普遍性が軽視され、一般性が追求されることが多いが、それは個人にとっても社会に…

快楽主義について

私は、快楽や苦痛で人生の良さの全てが決まると思う。 というのも、経験の価値は快楽や苦痛できまり、人生の(生きた本人にとっての)価値(well-being)は、経験で決まると考えるからだ。したがって、人生の価値は快楽や苦痛で決まるのである。 こういう立場…

道徳について(その2)

以下では、道徳に対する私の考えや姿勢を述べる。 1.利害の主体 道徳は、善や悪を規定するものである。ここで、善や悪というのは突き詰めれば必ず「何者かにとって」の善や悪であり、主体を離れて存在しない。では、善悪を見出す利害の主体はいったい何者…

幸福が何かを私はなぜ問うか

私は、私自身にとっての善や幸福は何かという問いに興味を持ち、さまざまな記事を書いてきた。この記事では、なぜそもそもこの問いに私が興味を持っているか説明をしたい。 まず、皆と同様に、私も善く幸福に生きたい。そして、皆は次に、どうすれば幸福に生…

死に寛容な幸福主義

1.常に幸福=善とは限らない 私の幸福観について - 思考の断片 上の記事では幸福が何であるかを定義してきたつもりである。この記事では、幸福がどういう場合に自分にとって善いものかを問題としたい。 こう言うと、幸福が善いのは当たり前のことだから、…

私の幸福観について

この記事では、私自身がどのような幸福観を持ち、追求してるかを吟味していきたい。 1.幸福に関するアトミズム まず、私は幸福についてアトミズムを取る。 (以下、命題の意味を太字で、数学的な定式化を斜体字で括弧書きするが、読むのは太字だけでよい。…

安楽死について

自殺に対する世間の印象は悪い。自殺は迷惑だと考える人もいれば、自殺は本人のためにもよくないと考える人もいる。しかし、私は自殺が道徳的に容認される場合や、本人のためになる場合もあると考える。また、それでもなお自殺が非道徳的で、非合理的な場合…

思考の節約について

1.思考は私にとって快楽である 世の人には、思考が嫌いな人も多いようである。彼らは思考をもっぱら日常生活に成果を還元するための手段とみなすようである。対して、私は思考すること自体が好きであり、思考で得られる結果とは関係なくその過程が好きなの…

独我論と他者実在論はいかに両立するか

独我論と他者実在論、利己主義と道徳性はしばしば対立するものだと考えられている。しかし私の中では、それぞれが異なるレベルで両立している。それがいかに可能かを以下で説明したい。 1.素朴独我論 全ての実在は経験である。例えば、知覚はもちろん、認…

善く生きるとは何かを問うのはなぜか

私は長らく、よく生きることは何かという問いに興味を持っている。よく生きるとは、自分にとって幸せだといえるような生き方をすることだ。例えば、私が好きな食べ物を今日食べることは、わざわざ嫌いな食べ物を食べるよりもよく生きることだし、おそらく仕…

死はなぜ快楽主義者の私にとって悪いことでは無いのか

1.死が恐いのは、死が悪いからではない 私は死が怖く、それゆえに先延ばしにしている。私にはどうもその私の行動が合理的なものには思えない。つまり、死が私にとって悪いから避けているのではなく、ただ怖くて避けているだけではないかと思われるのである…

反出生主義の試論2

私は反出生主義として、子供を生むことは道徳的に悪いことだと主張してきた。対して、当記事では、子供を生むことが不当であることを示したいと思う。 1.生きる努力について 世の人は当たり前のように、自分にとって最善の結果をもたらすための努力ができ…

反出生主義の試論

1.出産することと、しないことの比較の特殊性 私が好物を食べることと、苦手な食べ物を食べることでは前者のほうが後者よりも望ましい。いうまでもなく、この比較関係は私が実際に好物を食べることになった場合も、苦手な食べ物を食べることとなった場合も…

実践の世界と理論の世界

1.実践の世界と理論の世界 これから、以下の記事で紹介した概念(第一次、二次現実)を再定義してみようと思う。 知的反省 - 思考の断片 我々の経験する世界は単層的なものではなく、抽象度の階梯のある多層的なものだとお思う。例えば、食べ物を食べたり…

主観的欲求充足説とエピクロス主義について

この記事では、欲求充足説を客観的欲求充足説と主観的欲求充足説に分類して紹介し、後者がエピクロス主義の主張(死は悪ではない)を含意することを示そうと思う。そのうえで、主観的欲求充足説を取るエピクロス主義と、以前私が定義したエピクロス主義を比…

経験機械の思考実験について

1.「幸福」に関するmental state theoryとstate of the world theory ある人が生きた人生が、当の本人にとってどれだけよかったか、これを「幸福」と呼ぶことにする。「幸福」と言っても、単なる幸福感のことではなく、私自身にとっての価値のことである。…

知的反省

『思考の整理学』 https://www.amazon.co.jp/dp/4480020470/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_DmVdzb1QF7XAN 上の名著を読んでみたところ、大いに示唆を受けるとともに、これまでの自分の知的態度に対する反省を促された。以下ではその詳細について述べたいと思う。まず…

私の快楽主義について

1.1 快楽主義について 最近私は快楽主義に興味を持っている。快楽主義とはひとことで言えば快楽こそが幸福であるとする立場である。世の人に、快楽を求めない人はいない。しかし、彼らは快楽以外にもいろいろなものを重要視し、決して快楽が幸福の唯一の…