「分かりやすい」文章の盲点
分かりやすい文章には、読者にとっての伝達効率や精度が良いという、特にビジネスに有用な長所がある一方で、没個性である、考える過程の楽しさを無視しているという書き手軽視の短所もある。
しかしこの短所は認識されず、巷ではビジネス以外の場面、例えば会話や、本の内容にも、この分かりやすさがますます求められるばかりである。
その結果、文章が書き手不在で読者中心の読み物となり、書き手が文章に自己表現したり、読者が書き手の意思や個性を垣間見る面白みが失われる。
このような事態を防ぐために、場面に応じて分かりやすさの優先度を下げたり、読者の都合よりも書き手自身の個性を重視した面白い文章を使い分ける工夫が必要である。
以上の文章を説明する。
1.分かりやすい文章の特徴
まず、分かりやすい文章は結果の伝達に重点があり、次の性質を持つ。
(1)階層化された論理構造
伝達効率を重視するため、説明する回数が最小となる、ツリー上の論理構造を取っている。全体的な結論が一番上の頂点となり、下に説明項、そのさらなる説明項が延々と続く。
(2)結論から根拠に辿っていく説明順序
以上の論理構造における一番上の頂点から、その説明根拠を次々と辿っていく説明がなされる。
分かりやすい文章は、文字通り、読者が内容を「分」類・「分」析しやすい文章である。
2.長所について
(1)内容
分かりやすい文章の長所は、以下で述べるように、内容伝達のスピードと、客観的な理解可能性にある。
・まず、階層的な論理構造ゆえ少ない回数で説明が出来るため、読者が内容の繋がりを理解するのに時間がかからない。
・次に、言いたいことを先に述べるため、内容を主張する目的が読者にわかりやすい。
・最後に、1.(1)や1.(2)における規格化された文章構造ゆえ、同一の内容を文章化した場合に文体が書き手の癖に左右されない。したがって書き手との相性に左右されることなく、読者が内容を理解できる。
(2)長所が役立つ場面
・まず、その伝達効率ゆえに「速い」理解が求められる場面、つまりビジネスや緊急時の情報共有に役立つ。
・次に、客観的な理解可能性が求められる場合として、ビジネスのほか、例えば意見の異なる人と合意を形成するため、文書もしくは口頭で議論を交わす場面で有用である。なぜなら、内容について合意にいたるのには、論理の形式を含め出来るだけ多くの前提を共有したほうが都合が良いし、ツリー型の論理構造は、誤りやその影響を指摘するのに適しているからである。
3.短所について
以下の通り、分かりやすい文章には、考えた結果の効率的で客観的な伝達の長所とは裏腹に、考える過程の趣深く個性的な表現に向かないという短所がある。
(1)内容
・まず、その規格的な形式ゆえに、書き手の個性が表現される余地が少ない。まとめる仕方は一意ではないにせよ、文章は単調で没個性的なものとならざるを得ない。
・結果の伝達に最適な形式で書かれているため、書き手の個性の一つである、思考のプロセスとは異なる順序や切り口で書かれる。したがって、書き手は思考の個性に反した不自然な文章の書き方を強いられ、文章を書くことが思考の補助にならない。また、自らの個性に従い趣くがままに文章を書く、楽しさが損なわれる。
・1.(2)で述べた論理構造にそぐわない内容は、「分かりやすく」文章化できず、捨象せざるを得ない。
例えば、階層的な論理構造は、全体を部分に還元できることを前提とするため、雑多な具体物に関して一つの一般的判断を下す、帰納的な推論を行うのに適する。しかし、数学的な論理のように抽象を具体物に還元せずに直線的な演繹を行う場合や、哲学におけるように単純な要素に還元不可能な全体物を扱う場合、無力である。
(2)短所が致命的となる場面
・教育等、「なぜこう考えたか」という思考の過程の伝達に重点がある場合
・書き手が、書くこと自体の楽しさや、限定された読者に向けた自己表現のために文章を書く場合。または逆に読者が書き手の個性を感じるために文章を読む場合。
・演繹的(直線的)な論理の筋道を述べる場合や、哲学などの分野で、明晰に語れないことを、「分かりえないものとして」語ろうとする場合。
4.分かりやすさの氾濫
とりわけインターネットを通じて誰もが発信者になれるようになって以降、2.(2)で述べた、分かりやすさが必要な場面以外においても、分かりやすさが追求され、濫用されるようになった。その背景と弊害について述べる。
(1)文章を書くことの(読まれる)手段化、分かりやすさの目的化
現代社会では、文章がかつてないほどにデフレ化している。それは二つの要因による。(根拠は挙げられていない)
・インターネットを通じ、文章を発信できる人口が増えたこと。
・薄利多売もしくは承認欲のため、「一つの文章がより多くの読者を欲している(文章の供給を賄う需要がより多くなっている)こと」
後者を具体的に述べる。物書きが生計を立てるために必要とする記事一つ当たりの読者数が以前に比べ大幅に増している。そして、SNSなどの非営利の文章の書き手も、より多い閲覧数による自己承認を求め、閲覧数が目的化するほどである。
それゆえ、文章を書くことが、読まれる(そして、金を稼ぐか承認を得る)ための手段となる傾向にある。
読者は理解できることを、文章を読むための第一の必要条件として求める。したがって、読者が重視され、高い伝達効率と客観的な理解可能性を持つ「分かりやすい」文章に対して、より多くの読者がつく。
したがって、分かりやすさは全般的にもとめられる傾向にある。
(2)弊害
3.(2)で述べたように分かりやすさが文章の魅力を損なうような場面で、分かりやすさが追求された場合、本来の目的が分かりやすさのために犠牲となる問題が生じる。
・難解な思想を分かりやすく書こうとしたところで、本質の大部分が捨象された簡略な思想しか伝わらない。
・大多数からの承認のため分かりやすく文章を発信しても、承認してほしいと欲していたその人自身の個性は、皆が読んでくれる文章の内にはなく本末転倒である。
全般的には、次の弊害がある。
・書き手が文章を書いていても楽しくない。
・読者も、とっつきやすさや分かり易さの恩恵には与りつつも、単調で没個性な文章・論理展開に飽きてくる。
以上より、書き手が文章を書くのを楽しみつつ自己表現し、読者が文体に書き手の個性を感じるのを楽しむという、読み書きの楽しさが損なわれる。
5.分かりやすさと、面白さの使い分け
まず、分かりやすさには対価を伴うことを認識のうえ、目的に応じて優先度を下げることが必要である。
特に書く文章の分かりやすさと、書く面白さとはトレードオフにあることを意識しつつ、読者や聞き手へのサービスと、自己表現の愉しみのどちらに重きを置くかに応じて、両者を使い分ける必要がある。
以上のように分かりやすい形式で文章を書いたつもりだが、やはり書いていてつまらなかった。ここはビジネスの場とは異なり、自由に言論・表現ができる場なのだから、今後も以前と同様、分かりにくくとも面白い文章を書いていきたいと思っている。