幸福

我々は何をすべきか

世の中には二種類の人がいると思う。一方は、したいようにすべきだと考える人。他方は、すべきようにしたい人。前者はwantこそが、後者はshouldこそが根本的な行動原理だと考えている。 私は後者に属する人間である。ただしたいようにするだけならば、人間以…

幸福とはなにか

以下は、私が幸福の哲学入門についてツイキャスを配信した際の原稿である。 ツイキャスを見逃してしまった人、ペースが速すぎて理解が追い付かなかった人には、プレゼンテーション資料と一緒に見つつ、じっくり読んでほしい。 幸福の哲学に対して興味を持つ…

欲求充足説に対する反論

1.欲求充足説について 世の大半の人は、欲求に素直である。彼らは本当にしたいことが(自分にとって)良いことを疑わない。 確かに、大人は子供と違って、自分がしたいことが、本当にしたいことなのかを考える。誰しも、歯医者には行きたくないが、行かな…

快楽主義について(その2)

利己的快楽主義というと、どこか享楽的で、不道徳な響きがする。しかし、私が考える利己的快楽主義者のイメージは、非快楽主義者と見かけはほとんど変わらない。彼は、しっかりとしたライフプランも持ち、道徳を尊重し、人生の意味を追求するだろう。私は、…

幸福が何かを私はなぜ問うか

私は、私自身にとっての善や幸福は何かという問いに興味を持ち、さまざまな記事を書いてきた。この記事では、なぜそもそもこの問いに私が興味を持っているか説明をしたい。 まず、皆と同様に、私も善く幸福に生きたい。そして、皆は次に、どうすれば幸福に生…

死に寛容な幸福主義

1.常に幸福=善とは限らない 私の幸福観について - 思考の断片 上の記事では幸福が何であるかを定義してきたつもりである。この記事では、幸福がどういう場合に自分にとって善いものかを問題としたい。 こう言うと、幸福が善いのは当たり前のことだから、…

私の幸福観について

この記事では、私自身がどのような幸福観を持ち、追求してるかを吟味していきたい。 1.幸福に関するアトミズム まず、私は幸福についてアトミズムを取る。 (以下、命題の意味を太字で、数学的な定式化を斜体字で括弧書きするが、読むのは太字だけでよい。…

善く生きるとは何かを問うのはなぜか

私は長らく、よく生きることは何かという問いに興味を持っている。よく生きるとは、自分にとって幸せだといえるような生き方をすることだ。例えば、私が好きな食べ物を今日食べることは、わざわざ嫌いな食べ物を食べるよりもよく生きることだし、おそらく仕…

私の快楽主義について

1.1 快楽主義について 最近私は快楽主義に興味を持っている。快楽主義とはひとことで言えば快楽こそが幸福であるとする立場である。世の人に、快楽を求めない人はいない。しかし、彼らは快楽以外にもいろいろなものを重要視し、決して快楽が幸福の唯一の…

よく生きること(その2)

よく生きること - 思考の断片 上の記事では、善く生きることは善く経験することであり、それは善く活動することに伴い実現されると述べた。善く活動することについては下の記事で述べたが、まず、これについてより詳しく述べたいと思う。 そもそも、善き生と…

よく生きること

世間の人が、(要領)よく生きるために「どのように」に関して思考するのに長けているが、その前提を問うことを怠ることでかえって人生を損なうことがある、ということについては既に述べた。 私はなぜ、そして何を「考える」か - Silentterroristの日記 彼…