倫理学全般

欲求充足説に対する反論

1.欲求充足説について 世の大半の人は、欲求に素直である。彼らは本当にしたいことが(自分にとって)良いことを疑わない。 確かに、大人は子供と違って、自分がしたいことが、本当にしたいことなのかを考える。誰しも、歯医者には行きたくないが、行かな…

動物にとって苦痛は害悪なのか

1.苦痛と害悪 我々の多くは、苦痛が悪いのは当たり前だと考える。確かに苦痛を好む人はいない。マゾヒストという例外もいるように思えるが、彼らは単に、通常の人が苦痛と感じるものを快楽として感じているだけである。 しかし、苦痛と害悪は概念としては…

意志について

1.無条件欲求 私は、死は私にとって悪くはない、もしくは不幸でないと主張した。しかし、それだけではない。私は、(死ぬまでの苦痛はともかく)死そのものにはほとんど無関心である。つまり、死で挫かれる欲求がほとんどない。 果たしてそんなことがあり…

幸福と道徳における人生観の違い

1.幸福と道徳の根本的な違い 幸福と道徳は、我々が追求する別のものである。確かに、これらはほとんどの場合は一致している。大抵は、打算であっても道徳的に行為することは、自分の幸福にとっても一番良い。それに、本心から道徳的に行為すると、道徳的な…

刹那主義について

1.二種類の私概念について 私という概念には二種類ある。 一つは、生まれてから死ぬまで同一の「私」である。普通我々は、例えば昨日晩御飯を食べたのも、明日仕事で働くのも、すべて同じ「私」だと考える。そして、昨日晩御飯を食べた楽しみや、明日の仕…

快楽主義について

私は、快楽や苦痛で人生の良さの全てが決まると思う。 というのも、経験の価値は快楽や苦痛できまり、人生の(生きた本人にとっての)価値(well-being)は、経験で決まると考えるからだ。したがって、人生の価値は快楽や苦痛で決まるのである。 こういう立場…

道徳について(その2)

以下では、道徳に対する私の考えや姿勢を述べる。 1.利害の主体 道徳は、善や悪を規定するものである。ここで、善や悪というのは突き詰めれば必ず「何者かにとって」の善や悪であり、主体を離れて存在しない。では、善悪を見出す利害の主体はいったい何者…

幸福が何かを私はなぜ問うか

私は、私自身にとっての善や幸福は何かという問いに興味を持ち、さまざまな記事を書いてきた。この記事では、なぜそもそもこの問いに私が興味を持っているか説明をしたい。 まず、皆と同様に、私も善く幸福に生きたい。そして、皆は次に、どうすれば幸福に生…

安楽死について

自殺に対する世間の印象は悪い。自殺は迷惑だと考える人もいれば、自殺は本人のためにもよくないと考える人もいる。しかし、私は自殺が道徳的に容認される場合や、本人のためになる場合もあると考える。また、それでもなお自殺が非道徳的で、非合理的な場合…

善く生きるとは何かを問うのはなぜか

私は長らく、よく生きることは何かという問いに興味を持っている。よく生きるとは、自分にとって幸せだといえるような生き方をすることだ。例えば、私が好きな食べ物を今日食べることは、わざわざ嫌いな食べ物を食べるよりもよく生きることだし、おそらく仕…

死はなぜ快楽主義者の私にとって悪いことでは無いのか

1.死が恐いのは、死が悪いからではない 私は死が怖く、それゆえに先延ばしにしている。私にはどうもその私の行動が合理的なものには思えない。つまり、死が私にとって悪いから避けているのではなく、ただ怖くて避けているだけではないかと思われるのである…

主観的欲求充足説とエピクロス主義について

この記事では、欲求充足説を客観的欲求充足説と主観的欲求充足説に分類して紹介し、後者がエピクロス主義の主張(死は悪ではない)を含意することを示そうと思う。そのうえで、主観的欲求充足説を取るエピクロス主義と、以前私が定義したエピクロス主義を比…

経験機械の思考実験について

1.「幸福」に関するmental state theoryとstate of the world theory ある人が生きた人生が、当の本人にとってどれだけよかったか、これを「幸福」と呼ぶことにする。「幸福」と言っても、単なる幸福感のことではなく、私自身にとっての価値のことである。…

観照と実践について

よく生きること(その2) - 思考の断片 前回の記事では、善く生きることが観照的に生きることであることを述べたが、観照についての説明がごく限定的だったため、ここで数点を付け加える。 ・観照は普遍的なものに関する。 観照は主客の境界が除去された境…

よく生きること(その2)

よく生きること - 思考の断片 上の記事では、善く生きることは善く経験することであり、それは善く活動することに伴い実現されると述べた。善く活動することについては下の記事で述べたが、まず、これについてより詳しく述べたいと思う。 そもそも、善き生と…

よく生きること

世間の人が、(要領)よく生きるために「どのように」に関して思考するのに長けているが、その前提を問うことを怠ることでかえって人生を損なうことがある、ということについては既に述べた。 私はなぜ、そして何を「考える」か - Silentterroristの日記 彼…

否定について

我々は、よく否定という言葉を口にする。自己や現状の否定だとか、否定的(ネガティブ)だとかよく言われることがあるが、そもそも否定とはどういう意味なのだろうか。否定の原義は、ある命題が真でない、つまり偽であると主張することである。地球が平たい…

【論文要約】(人生の意味について)

以下は、Richard Taylor の論文 『The Meaning of Life』を私なりに要約したものである。 人生の意味について直接考えるのは困難である以上、無意味について考える方が容易いだろう。その典型がシジフォスの岩転がしという神話である。彼は神々を裏切り、次…

道徳について

今回の記事は何の要旨も持たない。ただ、道徳について考えをまとめるために、言葉に記すことにする。書きたいことを赴くがままに欠いたので、まとまりの無さは容赦いただきたい。 まず、道徳を定義するために次の問題を考える。利己的な態度と道徳的な態度を…

生の「意味」について

私は、先日のブログ: エピクロス主義者の願望はいかなる意味で生存に条件づけられているか。私の場合は。 - Silentterroristの日記 で下記の態度を表明した。 ①将来どんないいことが約束されていても、死んでも生きてもどちらでもいい。 同時に、大多数の人…

人は死を絶対的に望みうるが、生は相対的にしか望みえない。

悪は、質や程度によっては、無いほうがよいという相対的な忌避の対象であることを超えて、絶対に在ってはならないという否定の対象となる。そのような一線はなく、自分はどこまでも肯定的だと主張する者がいれば、是非、ありとあらゆる物理的、化学的、精神…

自由および善の消極性について

先日書いた記事: そもそも、善き生とは何か。また、必ずしもその継続を願うとは限らない、より直接的な理由 - Silentterroristの日記 では、善を自由に生きることを可能にする手段として定義した。 しかし、この定義は消極的に過ぎるのではないか。そもそも…

そもそも、善き生とは何か。また、必ずしもその継続を願うとは限らない、より直接的な理由

前回の記事では、善き生は生存してまで継続したいと願うものである、とする主張に対し反論を試みたものの、主張の一つの根拠を批判するのみであり、主張そのものを否定出来てはいない。エピクロス主義を擁護するならば、もっと直接的な反論が必要だろう。 そ…